秋川よしこは、そろそろお風呂に入って休もうかと支度をしていると、亭主の秋川和也がふすまを開けて、隣の和室から浴衣姿で起きだして来た。
和也、よしこの夫婦は共に70も半ばの老夫婦で、今は二人だけの年金生活である。
夫婦は毎日早々5時にはきまって夕食を済ませるが、和也は晩酌の1合の酒ですぐに寝てしまう。でも、いつもその後よしこがTVを消して寝ようとする11時頃になると、起きだすのであった。
「あら、おとうさん、今夜も行くんですか? いい加減にしないとまたご近所さんから言われますよ」
「いや、デイックがほら、うるさいんだよ、連れてゆかないと納得しないよ、こいつは」
「だったら、もっと早い時間に連れてゆけばいいでしょうに・・・まったく、こんな時間に行かなくったって・・・・・」
「いや、今頃の時間だとようやく涼しくなって、デイックも喜んでいるんだよ・・・なあ、デイック!」
「んっじゃ、ちょっといってくるわ」
「ちょっと、ちょっと、おとうさん、寝巻きだけは着替えていってくださいよ!
それから、ゴム長もやめてくださいよ!!」
「まったく、うるせえばあさんだねえ・・・ねえ、デイック!」
と、和也は目を細めて、黒ラブラドールの愛犬「デイック」に話しかけ、頭をなぜる。
大型だけれども優しい顔をしたデイックは、二人にはかけがえのない家族である。 「行こうか?」と和也が言うと、ぱたぱたと尾っぽを振って喜びを全身で現す。
和也は見事なほどにぴかぴか光った禿頭を両手で「ぱっし」と叩くと、いつものように、乾電池の入ったカンテラをその光り輝くおでこにベルトでしっかりと括りつけ、真っ黒なゴム長に足を突っ込んで、玄関戸をあけて、外に出ようとする。
「ちょっと、ちょっと、おとうさん! うんち袋は持ったの?! デイックは必ず道の真ん中でウンチするから、ちゃんと取ってきてくださいよ! ねえ、おとうさん、聞いてるの!!・・・・デイックは真っ黒だから、夜は向こうからは見えないからね、車に気をつけてくださいよ、この前だって、ほら、デイックのガールフレンドの、黒ラブちゃんのなんてたっけ、そうそう、ピーチちゃんのとこの斉藤さんのご主人だって言ってましたよ・・・・・・・・・ねえ、聞いてるの? ちょっと、おとうさんってば・・・・・」
よしこの声が後ろから追いかけてきたが、和也は全く聞き流して、夜風がひんやりと心地よくなった山の公園のほうにデイックと歩いていった。
「完」
その5 帰り道 (続)