青梅引っ越してくる前から多摩川中流帯、上流帯にはよくFlyFishingに行った。
なにしろ、大きな川の中流帯での毛鉤釣りってやつは夕方しか釣りにならない。
山岳地帯の渓流なら、日中でも岩魚がいれば、「バシャ」っと毛鉤に飛びつくが、里川、まして多摩川なんかで明るいうちに大ヤマメを釣ることは至難の業だ。
夕方日没寸前に川面を蜻蛉が飛び回りだすと、ヤマメちゃんの一日で1回だけのデイナータイムが始まるのだ。
よく行ったのは青梅の旧市内の橋の下や、軍畑駅近くから入った中流帯だった。
今では軍畑大橋がかかっているが、その当時はこの場所に橋もないから、多摩川の右岸を走る青梅街道と左岸を走る吉野街道を行き来するのは大変だった。
軍畑:いくさばた・・と読む。昔合戦があったところと聞く。
JR青梅線は立川を始点とするが、青梅駅までは35分かかる。
青梅駅までは日中は10分おきに電車が走っているけれども、青梅駅から更に奥多摩駅まで一時間に1本程度の電車が単線で山の斜面やトンネルを通り走って行く。青梅駅から奥多摩駅まで全部で12の駅がある。全部無人駅である。一応断っておくが、どの駅も全部東京都である。
軍畑駅は青梅駅から5つ目で、大体青梅と奥多摩の中間点。ここまでの多摩川は清流で、ゆったりと蛇行した美しい流れである。水も綺麗で飲めるほどといっても過言ではないが、小郷地ダムの底から放流される水の温度はとても低いため、夏場でも泳ぐのは冷たくて無理である。
この辺りまでは、川べりまで降りるのは容易であるが、軍畑を境に多摩川の様相は一変する。軍畑駅前の流れは右岸に北から流れ込む支流があって、広々としているが、そこから右にカーブすると急に大岩が点在するフリーストーンの渓相を見せ始める。
軍畑駅前辺りがゆったりと流れる多摩川の最終プールとなっている。だから、大ヤマメはこの辺りに悠々と棲息しているのであった。
川幅は優に100mもあるが、増水していないときはザラ瀬なので、ウエダーを履いて川を自在に渡渉できる。
この辺りは大岩がないので、ヤマメは大体岸側のえぐれの下に潜んでいて、日没時になると周囲を警戒しながら住処を出てきて、川面を脱皮して水面に飛び立つ寸前の水生昆虫類に貪欲に喰らい付く。
その日の土曜日は仲間3人といつものように軍畑に来た。
吉野街道側から川岸まで来て、車をとめて、6時ぐらいに川の中央部まで渡渉してきた。
夕方に水生昆虫が羽化して、ヤマメがデイナーパーテイをする事を「Evening Rise」という。Riseは「下から上へ出る」という意味である。
イブニングライズがあるときは予感がする。というより経験上、気温とか風回りとかでなんとなくわかるのである。そういう時は明るい時間から小型の蜻蛉がふわふわハッチ(羽化)するのである。でも、大ヤマメはこんな体長2mm程度のアダルト(水生昆虫の羽化したばかりの亜成虫)に興味は示さない。
やつが食いたいのは、多摩川特有の「ニッポンヒゲナガカワトビケラ」という体長が30mmもある水生昆虫のアダルトである。これは一見大型の蛾のようだが、蛾と一緒にされては「ヒゲ長」君が怒るであろう。ホントにきれいな水のある清流にしか棲息しない、日本で最大の水生昆虫である。幼虫は「黒川虫」と呼ばれ、えさ釣り師は好んで釣りの餌にする。
7時近くまでは辺りを見回すだけで竿は出さない。出しても無駄なのある。
ようやく薄暗くなってきた。 今夜はスーパーハッチが起こりそうな気配だ。
やがて7時。 気がつくとあたり一面大型のヒゲ長アダルトが銀鱗を振りまいて乱舞を始めた。空中2mぐらいを滑空する。水面を滑走する。目の前を滑空すると「ヒュー、ばたばたばた」という羽音さえ聞こえる。
もう既に日没後だが、まだあたりはかろうじて薄明るい。対岸川岸の青梅街道の水銀灯の明かりが川面に映りだした。
突然、前方で、「ばっしゃ!!」と水音。 三人で同時にその方向を見る。
対岸のえぐれから3mぐらい手前であろうか、2メートルもあるでかいライズリング(Rise Ring:水紋)が広がる。 「おお、で、でかいぞ」 間違いなく尺山女が飛び出してきた。
と、またそこから5メートルと離れていない場所でも「バシャ!」がある。
別な魚であることは間違いない。
いつの間にかMM師範は5番のラインをリールから引き出し、9フィートのフライロッドから黄色の蛍光色のポリスチロールのフライラインが弧を描き、空中をすべり出している。バックキャストから、ダブルホールで前方25ヤード付近へフルキャストする。
3人で、黙々と対岸めがけてフライラインを伸ばす。
シュートされたフライラインは真っ直ぐに伸びていって、綺麗なU字のループを作り出し、U字がほどけて伸びきると、フライラインの先に接続されたLeader(道糸)、そして最後にtippetと呼ばれる極細のハリスが一直線になって、その先に結んだ8番Hookに巻いたエルクヘアカデイス(鹿の毛が材料のヒゲ長のコピー毛鉤)のフライが水面にスローモーションを見るようにゆっくりと着水する。
ここで「ばっしゃ!」と大ヤマメがフライに食いついて欲しいところだが、そうは簡単には行かないのが東京多摩川である。
フライをキャストしても、フライが浮いている1m奥でバシャっと水音がして、本物を食べているのである。今夜はあまりにも本物が登場しすぎたのだろうか?コピーのフライには食いつかない。
どんどんあたり一面の光量は失われて行き、暗くなる。大ヤマメは最低3匹はいそうだが、単調に本物のヒゲ長を食い続けている。一歩一歩と前へ出てゆくので、だんだん川岸との距離が詰まってくるのは仕方がない。
もう、7時半、ヤマメの家族は腹いっぱいになったらしくて、いつのまにかおうちへ帰ってしまったようだ。師範MMはいつものように既に後ろ手にロッドを持って、僕ら二人を後方から見ているだけ。
最後のキャストとばかりに、力いっぱい右腕を伸ばしてスナップを利かせてキャストした。
ラインは暗闇へとひゅーっと一直線に伸びていった。着水点は暗くて見えない。
延びきったラインをゆっくりと手前に手繰り寄せる。
そのときだった。
ラインが重い、ぐっと手ごたえがある。
「むーー、きたきた、きたぞう!!」
ぐぐっとロッドを立てて合わせる(針を魚に食い込ませる)
え?、なんかおかしい・・・ロッドは重いだけで、竿先に大ヤマメの躍動感がない。
「なんだ、根がかりじゃん・・・」仲間に馬鹿にされる。
「・・・・・・」
ドライフライの釣りに「根がかり」はないはずである。針もラインも全て水面に浮いているのだからである。
気がつけば、もう後の二人は「あーあ」とか言いながら引き上げる途中だった。
暗闇に突き刺さったままのラインはいくら引いても外れない。リーダーもテイペットも大ヤマメ狙いできたので結構、太くて強い高番手を使っていたからだ。
仕方がないので、ラインを手繰りながら、岸へと近づいていった。
ラインを引っ張ると「くいくい」と弾力があるので、多分岸辺の小枝に引っ掛かっているのだろう。
岸際の草むらは水面から30センチも高くないが、水際ぎりぎりのその草むらはなにやらボーッと明るい・・・・
なんだろう・・・
そばまで行くと、ぎょっとして、身体が凍りついた・・・・・
フライラインの先には、小さな地蔵様と小さな墓石、卒塔婆が2本、そして、誰がいつ点けたのか知らないが、なんと小さな蝋燭2本に火が付いているではないか・・・線香の束からも煙が立ち昇っている。
針は、なんとその卒塔婆の先端に食いついている。ラインを引っ張ると、卒塔婆がくいくいとおいでおいでをする。
ぎゃーーー!!!
この辺りは多摩川上流で入水自殺した人が流れてきて必ずこの辺りで、見つかるんだ、と言われているのを思いだした・・・・
ちょっと、釣りの話がくどかったね・・・・・でもすこーーし怖い雰囲気が出てきたでしょ・・・・
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その3 暗闇に突き刺さる