拝啓
大変ご無沙汰しております。
急に寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
あの金鉱跡は父が子供の時に行ったきりと聞きましたし、千屋の親戚でも完全に幻の伝説になっていて、知らない人ばかりで、探し出すのに大変苦労した記憶があります。
たまたま長老の佐藤さんが場所をおぼろげに記憶していたのを手がかりに、村の青年団も総出で探索したのです。
私もトラックの荷台に乗せられて、山中を行きました。
実にドラマチックで興奮した一日でした。
あの後、NHK秋田で「金山の伝説」として番組放映され、親戚の佐藤さんらも出てきて、興味深い内容でした。 今でもビデオに保存してあります。
昭和の末期まであの近辺に金脈を探して小屋に住み、山を掘っている人がいる事を知り、本当に驚きました。
父と三七爺さんとの関わり合いにつては良く分かりません。三七さんが昭和三年まで存命していたということは、もちろん父と接触があったのだと思いますが、父からはお爺さんの印象を聞いた記憶がありません。
当時父は奈良にいたので、殆ど会う機会が無かったのでしょうか。
最初に金山へ行ったのは誰と行ったのかもわかりませんが、久治爺さんが案内したのだろうと推察されます。
私の祖父である久冶爺さんは写真でしか見たことがありませんでしたが、あの千屋の金山探索の翌日、千屋中学校の校長室で思いがけず、お爺さんの写真を拝見することが出来ました。 初代校長で、随分と若い顔をしていたのが印象に残っています。
さて、金山探索ですが、私と行った時は、「巨大な石碑が2基あるから、すぐ分かる」と父は言っていましたが、実際には50cm足らずのが一つでした。
幼い時の記憶というのはそんなものですね。
あの時は、朝早くから村を出て、山の中を散々探し回って、既に日も翳り、だめだからもう帰ろうとした時に、石碑と二つの金鉱跡を発見し、感激でした。
なお、私の文の探索のくだりは、若干創作した部分もあるので、事実とは少し違っております。
千屋郷土資料館の資料では「小森山」となっていますが、父は昔から三七金山は「紫山」または「金山:かなやま」と言うんだ、といってました。
金イオンが紫色である云々は父から聞いた事ですが、当時に田舎の人がこんな専門的な事を知る由も無いですから、父が「山が日没時に紫色に光る」ということを誰から聞いたか今となってはわかりません。
もちろん父は電気化学を専攻してましたから、当然知っていたことと思いますが、私も当時はそんなことは知らず、父から「ふんふん」と聞いていた程度でした。そんな父も多分学問から得た知識であり、当時は金のプラズマ発生装置なんかなかったと思うので、実際に金分子が電子とイオンに分離して、紫色に発光する光景は見たことがなかったのではないかと考えます。あの装置は是非父に見せたかったと思っています。
千屋の探索は父同様、私も生涯記憶に残るものの一つです。
あの時の父の生き生きとした笑顔がいまでも懐かしく私の心に残っています。
千屋のあの金山跡は多分今でも山の中で昔と変わらずひっそりと残っているのではないでしょうか。出来ればもう一度訪れてみたいと思っています。
敬具