高台の家の設計は概ね自分でやった。
この手の小さな家は、通常総二階建てで、2階に居室が3部屋とトイレも備わっているのが多いが、私は東側の眺望を活かしたかったので、2階部分は2部屋と納戸のみとし、東南部分には8畳ほどの正方形のルーフデッキを作った。
どの家の2階にもバルコニーはあるが、大体幅が1mぐらいの細長いバルコニーが大半であり、こういったバルコニーは布団を干すぐらいしか使い道がないのが通常である。
このルーフデッキは、建築会社の設計士殿とさんざんもめた部分で、「木造家屋でこんな大きなルーフバルコニーはやったことがない」と言い、設計士殿は嫌がった。
防水を手漕ぎボートの底の様なグラスファイバーで固めるため、木造だと歪が出てきてよろしくないという。
また、このバルコニーの東と南側のフェンスについても、私の案は「腰板の立ち上げ部分を30cm程度にして、あとは鉄製の見通しの良い柵にしてくれ」ということであったが、設計士殿は危険性から建築法に違反になるので、駄目という。
このデッキは、友人を呼んでビアガーデンにするためであり、椅子で座り込んだときに目線に夜景が入るように、と考えたからである。
いろいろ揉めたが、結局ほぼ私の案を押し切ってそのルーフデッキは完成した。
家が完成して、その若い設計士を招待してデッキに座らせたとき、彼はすっかり私が固執したことが飲み込めたようで、東側に広がる色とりどりのちかちかとした夜景にすっかり感心していた。
実は、このデッキの使い道をいろいろ考えていた。
もともと、この高台の土地に私が惹かれたのは、「馬鹿は高いところに登りたがる」ということにも反論はしないが、中学生のときからやっていて、ここ30年間廃業していたアマチュア無線を再開する計画を密かに持っていたからである。
アマチュア無線は、なんといってもロケーションが命で、高いアンテナと周辺の雑音が低いところが最高であるからして、この場所で開局すればチャンピオンになれることは明白であった。
私は、会社でアマチュア無線機も開発設計した経験もあり、会社の実験室から使わなくなった廃棄機材を、家族には内緒で密かに我が家に運び込み、着々と無線局開局の準備を始めた。
しかしながら、無線局開局事業は、ある事件をきっかけにあっさりと諦めざるを得なかった。
夏も終わりのころ、毎日のように夕立が降ったが、これまでこれほど恐ろしい雷に出会ったことがないほどの落雷が連日近所を襲った。
我が家のルーフデッキから見ると、東青梅駅前の16階建てのマンションは、下のほうに屋上部分が見えるし、電柱間を繋ぐ電灯線のてっぺんに配線してある「避雷ワイヤー」は目線より下のほうに見える。
我が家より高い部分は周辺の樹木だけである。
稲妻は上空から地面に落ちるものだと思っていたが、ここでは横っ飛びに走る。
西南の低空から発生した稲光は、轟音を同時発生しながら水平に飛び、我が家の正面南側200m先の森に「どーん」という爆音と共に命中、ばっと煙が上がる。
我が家の配電盤の全ての漏電ブレーカーは、落雷のたびにけたたましい音を立てて落ちる有様。
これじゃあ、とてもルーフデッキから高さ15mのタワーを持つ大きなアンテナを立てようがない。
雷さんに「おいでおいで」をしているようなものであるし、家族から「馬鹿やるのもほどほどにして!」といわれるのは火を見るより明らかだった。
そして夏も過ぎ、秋も深まった気持ちの良いその日は、うっかり、帰りの中央線で居眠りをしてしまい、青梅線に乗り換える立川駅を乗り過ごしてしまった。
気がつくと、既に八王子駅だったが、時間帯も早かったので、八王子の駅前のヨドバシカメラに寄ってみようと駅を出た。
特になにかを買うつもりではなかったが、量販店の店先にはなにやら大きな箱が山積みに並べられてある。
「天体望遠鏡 特売 1980円」の札が付いている。
箱は結構大きくて、そばには見本の望遠鏡がカメラの三脚のような引き出し脚の上に乗っている。
口径は5cm程度だが、長さは1mぐらいある。
天文に関しては、子供のころから興味はあり、星座に関する神話などの読み物も嫌いではないが、大して知識があるわけではない。
どうも近日中になにか流星群が発生するようで、それにあわせて店頭販売しているようだった。
我が家の2階のデッキからは、東側は夜景が眩しいが、そういえば南側から西側にかけては空も暗く、星座がきれいだった事を思い出した。
何しろ、たったの1980円なので、紐で結わえてプラスチックの取っ手をつけてもらい、買って帰った。
もう、11月に入っていて、土星や木星も夜半には南側の空に上がってくる季節だった。
家に帰るなり、早速箱から望遠鏡を取り出すと、「また、お父さんがくだらないものを買ってきたよ」と、娘がカミさんに言いつける。
「また」と言われるのは気に食わないが、確かに私が時折買ってくる玩具や飛行機のプラモデルなど、彼女達にとっては何の価値のないものばかりだ。
「たった1980円で売っていたんだ」と言っても、見ようによっては立派な望遠鏡なので、何万円かしたのかと思われても仕方がない。
2階へ持って上がって、空を見上げると、月は出ていなく、結構星が沢山見えるではないか。 さすが青梅だ、都内ではこうは行かない。
親切に紙で出来た星座盤も付属していて、日付と時間を合わせると正面の南側の星座が分かるようになっている。
若干東側に夜景の光にも負けないで、光り輝く星が見えたが、これは多分土星であろう。
望遠鏡の焦点を合わせて、その方向に持ってゆこうとするが、三脚はへなへなであり、望遠鏡を固定するネジを緩めながら、鏡筒そのものを動かさねばならず、一瞬なにか光るものがアイピースの視野に入ったかと思いきや、また、すぐどこかへいってしまう有様。
足の痛みも忘れて、悪戦苦闘を小一時間するも、その星の実態は掴めなかったが、次第に操作にも慣れてきて、遂にその姿を捉えることに成功した。
なんだか丸い惑星で、周辺に点々を持っている。
土星と思ったが、これは太陽系最大の惑星木星であることが分かった。
周辺の点々は木星のガリレオ衛星だ。
天文台などでこういった天体は見た経験はあるが、我が家から自前の設備で木星の衛星まで見えたのにはいたく感激。
家人も呼んで、「ほらほら、木星が見えるよ」 と見せてやろうとしても、瞬間に視野から外れてしまうので、彼女達は見ることも出来なく、「なあんだ、つまらない・・所詮オモチャの望遠鏡でしょ」ということで、馬鹿にして階下に降りて行ってしまった。
毎晩のように、帰宅してから夜空と格闘したが、この1980円の望遠鏡は、倍率はそこそこあるにしても、安定性と分解能が全く駄目であり、せいぜい月面のクレータを見るのが関の山であった。
だから、随分昔に、天文台の大型望遠鏡で見せてもらった、美しい輪をもつ土星を捉えることなど到底出来ない代物であることを、納得せざるを得なかった。
こうなるとどうにも悔しい。
そういう目で見れば、我が家から見上げる夜空の美しさもなかなかものであり、もう少しましな望遠鏡が欲しくなってきた。
無線局を諦めた代わりと言うわけではないが、「ここは天文台を開設するには最適な場所である」と、勝手に決め込む。
「月刊 天文ガイド」を買ってくる。
この雑誌の頁の約半分は、天文機材の広告カタログで埋まっている。
大小各種の望遠鏡やら赤道儀、入門者用から何百万円もするセミプロ用まで、ずらりと内外の製品と膨大な部品類が並んでいるが、専門用語ばかりで、全くのちんぷんかんぷんの世界である。
基本的に、まともな天体望遠鏡というものは、赤経赤緯の2軸をモータで駆動制御して、地球の自転により、動いて見える星を自動追尾するものらしい。
雑誌には、これ見よがしのそれは美しい星雲や、星野の写真が掲載されており、また読者が撮影した投稿写真でさえ、息を飲むほど美しい。
こういった淡い星雲などは、いかな大型望遠鏡で覗いても、写真のように色彩美しく見えるわけではないようだ。
掲載された写真のデータを見ると、一般的な一眼レフカメラを望遠鏡に直接取り付けて撮影しているようだが、高感度フィルムを使って、45分とかはたまた2時間とかの長時間をバルブで露出している。
こういった写真を撮るためには、モータで星を追尾しているとはいえ、取り付け台の振動や、ギアの回転狂いが出れば、画像がぼけて滲むので、カメラを付けた主鏡のほかに「ガイドスコープ」といって小型のトレース用の望遠鏡を覗きながら、ずれを補正してやるようだ。
写真は私の趣味の一つで、一眼レフのカメラは何台か持っており、四季折々の写真や、海外での写真は随分と撮りためていたし、それなりの自信もあったが、天体写真は全く違った知識と機材と経験がいる。
とってもメカニックで、テクニカルで、むらむらと天体写真を撮りたい衝動が突き上げてくる。
12月の日曜日の昼過ぎには、私は御茶ノ水駅から程近い、天体望遠鏡を扱うこじんまりとしたプロショップの店内にいた。
店員の方はとても親切で、私の疑問点にことごとく回答してくれた。
散々迷って、半日以上も店内にいた結果、1980円の望遠鏡のときとは違って、電車では到底持ち帰れない口径200mm長さ800mmF4の明るさをもつ大型ニュートン反射望遠鏡に、大型モータの付いた2軸の赤道儀、頑丈な三脚、それらを自動制御するコンピュータ装置、カメラを取り付けるための各種パーツ、などなどを注文して、暗くなるころに店を出たが、帰りの電車の中では家人への言い訳をどうしようかとばかり考えていた。
さすがにこのシステムは1980円とは違って、凄い装置であった。
手元のコンピュータから惑星や星の名前を入力すると、なんと自動的に目指す星に望遠鏡が「ウイ〜〜ン」と動いて静止し、アイピースを覗くとその星が視野に収まっており、ぴたっと動かない仕組みになっている。
しかしながら、初期設定が結構難しい。北極星を見つけて、赤道儀の中に仕込まれた極軸望遠鏡を使って、日時を合わせて赤道儀をセットアップする必要がある。
我が家の天文台の北側には部屋があるので、ブラインドになってはいるが、ぎりぎり36.5度仰角の北極星が屋根越しに見えたのは幸運だった。
北極星はそんなに明るい星ではないので、都内などでは確認することはまず無理であろう。
よーく凝視すると、ここでは肉眼でも簡単に確認することが出来た。
懸案だった土星は、楕円形の縞々模様の立派な輪っかを持って、少し黄色みがかって、37mmのアイピースの丸い視野の中央に浮かんでおり、身震いをするほどの感動を覚えた。
家族を2階のデッキに大声で呼んで、見せてあげると、カミさんも娘も「凄い、すごい」と喜ぶが、2-3分も見たら、「見るテレビがあるから」と言って二人とも下へ降りていってしまった。
後に知り合った天文仲間の話では、「望遠鏡で見て面白いのは惑星と月面だけで、土星なんかは初めてみる人は感激して大騒ぎするけれど、その後もう一回見たいと言う人はまずいない」とか。 うちの家族もそんなもので、それ以来毎晩のように2階デッキの天文台で私が観測活動をしていても、我が家の住人は誰も興味を示さなかった。