20数年前、私はまだ30歳になったばかりのときで、当時はあまりやる人のなかったフライフィシングに夢中だった。

アメリカ製のフライロッドはとても高価だったが、毛鉤の材料やらリールなど殆ど輸入品ばかりを集めていた。

毎週のように土曜日には、当時住んでいた都内から青梅市内を流れる多摩川中流地帯に車を走らせ、釣りに出かけた。

もう今では夢のような話だが、当時は青梅市内の多摩川でも、時には銀色に光る尺近いヤマメが毛鉤で釣れることがあった。 

しかし、一応東京都であり、週末の多摩川は川遊びの人で賑わい、ヤマメは怯えて石の下深く潜って動きはしないので、日中釣れることはありえ無い。 

夕方人気も無くなり、日没寸前に川面を蜻蛉が飛び回る時間になると、突然「バシャっ」と大石の向こう側から身を踊りだして、水面を飛び立つ蜻蛉を捕食する大ヤマメが出現するのである。

だから、フライマンはじっと川面を凝視して、やる気のあるヤマメが水面を割って出てくるのをひらすら待っているのである。 

ヤマメが飛び出せばしめたもので、高鳴る鼓動を押さえながら、川面を飛んでいる水生昆虫と似た毛鉤を「ふぁわ」とそこにキャストするのである。

とある5月の土曜日夕刻、いつもと同じでヤマメは釣れはしなかったが、それでも初夏の新緑の匂いが一杯詰まった空気を満喫して、それなりに満足感を味わいながら河原から上り、空き地に駐車した車に濡れたウエーダー(釣りの長靴)を鳴らしながら歩いてゆくと、私の車の前に背広姿の中年の男が立っていて、いかにも商売的な笑顔で「こんばんは」、という。

「釣れましたか?」釣り人にかけられる言葉は決まっている。

「いや、駄目です」釣り人が返す言葉も大体決まっている。

「ワタシねここに建つマンションの紹介をしているんですよ」

見ると、ずっと空き地だった川岸の広場に、なにやら大きな建物が建造中である。

「あなた、ここに住んだら毎日釣り三昧ですよ・・・」

なんと衝撃的な事を言うやつだ。

「いや、マンション買うつもりも、金もありませんから」

といって、着替え始めたが、男は釣り人の心理をくすぐる言葉を次々と放ち、分厚い封筒に入ったパンフレットを車の中に放り込んでいった。

当時娘もまだ小さく、ただ同然の都営団地に住んでいて、持ち家するなど全く考えもしなかったし、ましてや釣りに行くならいざしらず、東京の端っこに位置する青梅に住もうなどとは思いもしなかった。

しかし、家に帰ってその封筒をあけ、中身を見れば見るほど、あの男の甘い言葉が呪文のように脳裏から離れなくなってしまった。 

「確かにあそこに住めば、玄関に毛鉤を結んだ繋ぎっぱなしのロッドを置きっ放しにしておいて、出勤前に一振り、帰宅してまたイブニングライズを・・・」などとイメージは膨らむばかりで、通勤のことや家族のことなど全く考えてもいない自分がいた。

カミさんには一応相談した。

彼女も持ち家など計画外のことだから、ピンと来ていない様子であり、また、青梅がどんなところかも知らないため、あまり興味を示さなかったが、まさか私が翌日の日曜日に又一人でのこのこ出かけていって手付金を打ってくるなど思いもしなかったであろう。

翌日にあわてて決めてしまったのは、既に5割がたが契約済であり、私が欲しかった西側の角部屋は6階の一つしか残っていなかったからだ。

完成図面の位置関係から見ると、西側の角部屋からは多摩川のいつも攻める左にカーブした淵のあるヤマメスポットが見下ろせる。 

ここに陣取れば、週末の夕刻は部屋でビールを飲みながら双眼鏡で川面をチェックし、ヤマメがバシャっと出てくるライズリングが見えたら、やおら玄関に置いたロッドを片手に崖を降りればいい手はずなのである。

かくして、マンションは衝動買され、引越しはいやだと泣き叫ぶ娘をなだめ、呆れて口も聞いてくれない妻も拝みたおして、翌年の1月にここ青梅に3人で引っ越してきた。 今から23年前のことである。

私にとって非常にショックであったことは、その西側の6階の窓からは多摩川の樹木が邪魔して、ヤマメスポットの大淵の水面は見えなかったことである。

高台の家