「衝動買い」という言葉はとても軽率的で、安易な感情が基本になっているようで、あまり好きではない。褒め言葉でも上品な言葉でもないことは明白である。
だいたい、住んでいる家でさえも、2度とも全くの検討なしの衝動買いで手に入れたくらいだから、ぼくの持ち物は殆どがその場の勢いで買ったものが多い。
特に金額の張る大物こそ、その直前まで計画がなかったのに、気がつくと買っていた・・・
と言うことが多い。
天体観測にはまったのも、たまたま電車で居眠りして乗り越した八王子の駅前の量販店で買った1,980円の望遠鏡から始まっている。→「無線局と天文台」
ポケットに入っているくらいの金でつまらぬモノを買う分には何も問題はないけれど、ぼくの場合は、それをトリガーとして、だんだんエスカレートしてゆくのがたちが悪いようだと認識はしている。
確かにぼくは衝動買い人間であることは否定しない。
しかしながら、「衝動買いをしたこと」に対して後悔したことはあっても、「衝動買いしたモノ」に対して後悔したことは殆どない。 そこに衝動買いの美学がある。
ぼくは衝動買いは誰にでもできるワザではないと信じている。それが欲しいと思ったときの感性、気持ちの底から突き上げてくる予感、そのモノがぼくに買われるという定め、を一瞬に感じ取れなければ衝動買いに走ってはイケナイのである。これが衝動買いの奥儀である。
「車」
19歳で運転免許を取ってから、車は手放したことがない。
決して車マニアでもなく、車のメカにも形にも性能にも殆ど興味がないから、昨今の新車の名前を言われてもさっぱり判らない。でも、車は一度持つと手放せなくなる道具である。
田舎では勿論生活必需品だから、一家には家族分だけの乗用車があって、地方都市の朝晩の渋滞は都市部のそれよりひどいこともある。
東京に住んで34年になるが、ずっと車は持ち続けていて、何台買い換えたか思い出すのも難しい。大体、東京と言う町に住んでいれば、電車で通勤する人が大半だから、車はそんなに必要な道具ではなく、「ないととても困る」という人は半数以下ではなかろうか。
僕の場合は基本的にアウトドアの遊びが趣味だから、車がないと遊びに行けないし、また、この高台に越してきてからと言うもの、車は以前にまして必需品である。
今乗っている中古の三菱のステーションワゴンも衝動買いの車だった。
それは5年ほど前の2月の寒いときだった。冬の関東地方は毎日が晴天で天体観測にはもってこいの季節だが、何しろ寒いのには堪える。その日の土曜も午後から愛用のマツダカペラワゴンに天文機材を積んでいつも行く奥多摩のはるか奥にある厳寒の柳沢峠で星空と格闘して徹夜をした。
塩山市に抜ける国道411号線は気持ちの良いワインデイングロードで、若い頃はカワサキの単車でよく攻め込んだ道だが、冬場は雪が降ったら通れなくなる国道でもある。
ずっと晴天が続いていたので、その土曜日は新月でもあり、ちょっと覗いてみようと出かけたのである。 曲がりくねった国道に積雪は全くなく、普通タイヤでも快適なドライブで現場まで行くことが出来た。
翌朝夜が明けてから少しだけ車のなかで仮眠してから帰路に付いた。
昨日青梅から出かけたのは午後の2時ごろで現場に着いたのが4時ごろだったから、確かに路面は全く不安材料がなかったのだが、帰路は早朝であり、山側から流れ出す湧き水だか雪解け水だかが国道に流れだしていて、それがところどころ凍結しているではないか。
朝日が当たってきている東南斜面はいいが、北斜面では結構路面が凍結している。
おまけに下りであるから、結構やばいなとは思っていた矢先だった・・・
ゆっくりと左カーブをまわったときだった。 カーブを回って左前方を見ると、路面は道幅一杯が鏡になってきらきら輝いているではないか。
ゆっくりとブレーキを踏んだが、何しろ、FFの普通タイヤで、アンチスキッドブレーキなどという気の効いた仕組みのない安物車である。でも、4年ほど前に新車で買ったターボ付きデイーゼル低燃費車で、一生乗っていたいくらいのお気に入りの車であった。 そんなことはドーデもいいのだが、おまけにかなり急な下り坂である。 わが愛車はそのまま左方向の道路方向には進んでゆかず、運転手の意思とは無関係に「つつー」と直進して、センターラインをはみ出して、右側の玄武岩の山肌に、「どーん、ズ、ズー、ズ・・・・・」と・・・・10m以上こすり付けて、ようやく停止した。
ドアを開けて外に出て、愛車を見ると、右側フェンダーはノーズから後方のテールランプ付近まで無残なほどの状態。
「・・・・・」声が出なかった。
でも、現場検証をしてみると、その左カーブは延々と鏡状に路面が凍結していて、滑って歩けないくらいであった。
もっと、背筋が寒くなったのは、道路の左側、つまり多摩川側にはガードレールもなく、そこから下は恐ろしいほどの崖になっていた。 もし、これが右カーブで反対側に滑っていったなら・・・・と考えると、やっぱり俺はついている・・・・等と考えてしまう楽天家なのである。
確かに、いままで釣りに行って滝上から20mも滑落しても死ななかったし、死にそこなったことは今まで生きてきて2度や3度ではない。
さて、走行には全く問題はなかったが、下界まで降りてきて信号で止まると、歩いている人がみんな見ている・・・なんとも・・・・
道すがら、いつもの修理工場の親父の所に車を置いてゆこうと立ち寄ったが、生憎日曜日で誰もいなく、駐車場の入り口のチェーンにも鍵もかかっていて車を置いて行きようもない。
このままこの車で家に戻ったら、またカミさんと娘、そしてレノ伍長までがお調子に乗って「ばかだちょんだ」と7.7mm機銃を連射するんだろうなあ・・・・と考えると気が重たくなってきた。
ふと、信号で止まった左側に三菱自動車があって、中古車が沢山並んでいる。
開店したばかりなのだろうか、店の人が玄関のシャッターを開けている。
思わず、ハンドルを切って中古車が並ぶ駐車場に入る。
外に出て車を見ていると、さっきシャッターを開けていたひとが寄ってきて、「お車をお探しですか?」とにっこり笑顔で話しかけてくる。
右サイドがぼこぼこのわが愛車を指差して、「さっき奥多摩で路面が凍っていて山に突っ込み、ご覧の通りなんですよ・・・」というと、「あらあら、これはちょっとひどいですね、板金でも交換でもこれはかなりかかりそうですね・・・」という。
車は乗り潰すタイプなので、買い替え時期ではなかったが、状況が状況だけに「ちょっと見せて下さい、ステーションワゴンとかありますか?」と聞くと、「いいのがありますよ、人気のレグナムのシルバーが一台あります。まだ車検も一年残った2年落ち車ですよ・・・」と車列の後方に案内されると、いかつい顔をしたぴかぴかの車があった。 たしかに街で見かけたことがある車だったが、名前は知らなかった。ギャランのワゴン版のようだ。
じっと正面からみてみると、せり出したノーズからの4灯レンズが逆にこちらをじっと見つめているような気がした。
なんだか、僕を待っていたようなそんな気がした。
殆ど話も聞かないで、心は決まった。
「ナンバーがついているけど、このまま乗れるの?」と聞くと、「もう全く問題ないですよお・・」と笑顔がさらに丸くなる。
カペラの引取りとレグナム購入の手続きは、こんな簡単でいいんだろうかと思うほどあっけなく終わった。
カペラの荷台から荷物を全部降ろす。
釣り道具に、大型望遠鏡、三脚に、キャンプ道具・・・こんなにこの小さな車に入っていたかと思うほど出てくる出てくる。 三菱の営業マンが目を丸くして見ている。
とにかく同じサイズの車なので、何の問題もなく、全ての荷物はレグナムに収まった。
「じゃあ、どーも」と言って、1時間後には愛車となった三菱に乗って鼻歌交じりに帰宅した。
車庫の車が紺からグレイになっていることに、家人がようやく気がついたのはその日の夕方だった。
説明はくどくどしなかった。
5速マニュアルのデイーゼルのカペラがオートマチックのしゃれたシルバーの車になったことで、娘はやたらにご機嫌で、早速運転して出かけてしまった。
カミさんは、いつものように呆れていただけであった。
ぼくのほうはと言えば、今度はABSの付いたこの車さえあれば、また柳沢峠に行けると月齢カレンダーにマルをつけていた。
「懲りる」という言葉はぼくの辞書にはないのである・・・・衝動買いの美学その3「車」